自然に降りてくる工法や考えによって 起 記 k i k i  

          37    花後駕篭

 

 

 

 

 
 

Mitsutaru Sorasima作

 
 

 

 0次元 加藤好弘氏の訃報(2018/02/09  81才没)に接し、悲しいと言うよりも急な事で暫く虚脱感に襲われていた。奥様からの知らせがあったのは一ヶ月後の事で、本人の意志によりそうして欲しいとのことであった。

 加藤氏についてはおいおい触れることとなるが、最後にお会いしたのはのは、昨年名古屋県立美術館での「いなばのしろうさぎ」上映会でのことであった。その前にも0次元の岩田氏も死去されており、その場には息子さんが出席されていた。

 甲状腺の手術の後、元気になられてしばらく私とも電話と物品のやりとりなどの交流があったのだが、私は膀胱癌の急な発症のための手術が原因で死去されたのだと思っている。術後急速に脊髄に転移したのである。冥福をお祈りする。しかし生前から生死を超えた言動や哲学をお持ちだったし、生前の友人には「チベット死者の書」などの著述もある「おおえまさのり氏」などの交友もあり、そこのところの腹は座っていただろうとお見受けする。そのように私としてもその死を世間的に悲しんでいるわけではないが、電話での話し相手が減ったことが単純に悲しいのである。

 加藤氏の口癖であった「芸術のテロリズム性」は、つまりは前衛のことであるのだが、岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」はさらに自爆テロ的な自我が、無に向かって爆発するシャーマニズムを言い得ている。コンセプチュアル・アートを地道に表現していた私は加藤氏に感化されて二十年前にその表現をスピリチュアル系に転向したと言っても過言ではない。現代芸術には超えなければいけない大きな壁「偶然性」とそれとワンセットの「無我性」が立ちはだかっていた。私の妄想する「共時性のアート」はそれを超えていこうとする実験に他ならない。しかしながらこんな事は誰も思考しないことであって、そもそも共時性とは内面である心と外界である現象が合一する事であって、危ない悪魔的なオカルトに導かれる可能性を秘めているのである。しかし芸術とはもとより心の表現であってその現象化である事に思い当たる。

 加藤氏はハプニング表現以降たくさんのタブローを制作されていたのでいずれその評価も高まるだろうが、その「アール・ブリュット」ギリギリの表現は市民権を得るには時間がかかるかもしれない。芸術家の仕事は死後に完成する。存命中は評価は定まらない。まだまだ何が出てくるかわからないからである。そういう意味では加藤氏の仕事は完成したのである。とにかく饒舌な話し相手が去ってしまった事を私は思い出すたびに悲しんでいるわけである。

 

 

加藤氏との最後になった名古屋県立美術館でのレクチャー

 

 

 話は変わって三月三十一日は「みつたる祭」であった。2015年に初めて「禍誤除けの滝」で権現を見た時から、この日を祭日と決め聖地巡礼しているのである。2016年は権現は見られず、17年は雨で取りやめになった。今年は雲のない日本晴れで暖かく、滝下の氷もかなり小さくなっていた。この氷のわれ方や形を今年を占う神事としている。そして本年はありがたく権現を授かったのだが、もう一つ思いがけない共時性的神託を得た。2015年の神像を以来造形して祀っていたのだがその頭部には小さな鏡がついている。これは神道の鏡のような意味合いを持っているが、なんと今年はその姿が滝の中の光像として現れたのである。私はこれを滝からのこの造形の承認と受け止めたのである。この造形はすでに一年ほど前にWeb上に発表しているので時間的証拠は確定している。「みつたる現象」はその光学的なメカニズムが問題なのではなく、このようなその共時性が問題なのである。心と現象が一致する事が奇跡なのである。共時性が奇跡の本質なのである。

 

本年2018年3月31日の禍誤除けの滝

 

禍誤除けの滝へ籠目の象徴の亀のオブジェの奉納

 

 今年は初回の権現とは違って心の準備とカメラの用意が出来ていたのでたくさんの動画を得る事が出来た。神像が光で出来上がるまでの記録ができ、大変ありがたく滝に感謝している。このような場合。自然と感謝する心、有り難さが湧いてくるのである。新年の富士山でのご来光のように特に自然物に対するありがたみが素直に湧き上がるのは日本人、いや人間の本性だろう。

 以下にその動画の一部を示し、詳しくはまた別紙にてお知らせしたい。ここでは取り敢えずのニュースとしておきたい。そしてこのトピックが加藤氏の死去とはなんの関係もないように皆さまは思われると思うのだが、一つの花が去った(花後)空の乗り物(駕篭)に乗っているような私の孤独感も、死者のように本質的にはいつも孤独な存在であり、それこそが一つの全体である事を思う今日この頃なのである。

 

 

陶器製の神像と本年の光権現「みつたる神」の共時

 

 

 

 

 
  つづく