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. 「え〜、雨がひとひと降って来る。世の中がシィ〜ンとしてまいります。
. 秋も深まって来た肌寒い夕暮れなど、独り者などはついつい行きつけの飲み屋に吸
い込まれてしまうものでございます。これはマクラでございましてお話はこれかれで
ございます。
. バー雅子はあいも変わらず混んでおりました。
. カウンターの片隅に客も酔いつぶれて寝ておりましたし隣では誰かが大声で何かを
喚き立てているようでございます。
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. 私といえば10bで海へ飛び込んでおりましたせいか、それとも女Aにラムネをひっ
かけられた“衣装ツナガリ”をまだやらなければいけないのか、何時も着ている黒子
の衣装がまだ濡れているのでございました。
. 挨拶する事もない何時ものメンバーの中に一人だけ見知らぬ男がいて私はその男の
横に座ったのでございます。
. 『初めまして、ここではあまり見かけませんね。』
. 『はっ。はい、今日が始めてです。ママとは面識があるんですがね。』
. 『あっ、ママ、サファイアジン、ソーダで割ってレモン無し。
. 御近所ですか?』
. 『ええ、蔦衣町で町工場やっていましてね。この景気じゃぁ作ってもなかなか
はけなくてね。』
. 『何を作っているんですか?』
. 『鎖です。チェーンですよ。金物です。昔はお面の露店商だったんですがね、ふと
した事からクサリを作る事を覚えましてね、時代もよかったんでしょうね、工場を持
てるまでになったんですがね、ところが又だんだんと危うい訳でして、はい。もうバ
カな事考えないでお面屋に戻ろうかと。』
. 『へぇ〜そうですか、大変なんだ皆さん。お面ってあのエンビのキャラクター物で
すか?』
. 『いえいえ、私のは自分で作ったお面です。お面を作るのが趣味だったんです。そ
れでね、それ並べたら少し売れたもんですからね。それでバカな事に調子に乗って
ね。それに私のは似顔絵のようなものですからね。』
. 『似顔絵ってあの街頭の?』
. 『ええ、そうです。お客さんを座らせてその場でその人のお面を作るんですよ。紙
粘土でね。ベースの顔形はあるんですがね、それを修正してね、粘土でね。』
 
. 『へぇ〜面白いアイデアですね、しかし人によって様々に作り替えて行く訳でし
ょ、大変だ。』
. 『いやいや、人の顔なんてそれほどの変化はないもんですよ。一寸した目や鼻の位
置の変化で、嫌われたり誉められたりする訳ですからねバカですね。犬の顔ほどには
違わないんですよ。』
. 『へぇ〜、僕には土佐犬はどれも同じ顔に見えますけれど、あれも犬になってみれ
ば嫌な顔とか惚れぼれする顔があるんでしょうね。』
. 『そりゃあ、そうですよあなた、犬にだって魚にだって選択の自由はありますから
ね。エラの下のウロコのはえ方が“ウフフン“だったり、隣のポチの首のかしげ方が
これまた“ウフフン”だったりね。それぞれ様々な世界ですよあなた。だからね単に
顔のデザインと言うよりもそれが代表するその人のオーラ、それが人相なんですね。
そのオーラみたいなものを写せるかどうかなんですね、お面と言うのは。昔のお面や
アフリカなんかのお面にはすごいのがありますからね。憑依しきってる奴がね。消え
ないんですよ500年経っても』
. 『なるほど僕も能が好きで能面はよく見るんですが、特に昔のは凄いですね。あれ
はもうその時代でも死者の顔で、今見ている昔の人の顔じゃない。作られた時にはす
でに死んでいる人の顔ですからね。“二重の死者”なんですよね。能面は凄くデフォ
ルメされているように思ってますけれど結構リアルですよね、昔こう言う顔の人が確
かにいたんだろうってね。言われているのとは反対に能面ほど表情のあるお面は世界
にないでしょうね。中には“生ている死相”と言うのもありますからね。』
. 『ほほう、これはあなたよくお分かりで。それじゃぁ私のバカな写真見てもらえま
すか?
ここに二、三持っておりますんで。ファイルを。 ところでまだお名前を………』
. 『ああ、浦島です。浦島綿志です。 はい名刺。』
. 『そうですかモルール町ですか。私は夕顔現時です。蔦衣町で工場をやってま
す。ああ、さきほど言いましたね。 はい名刺。』
. 『つたい町ってあの海岸沿いの蔦の生い茂ってる町ですよね。』
. 『ええ、そうです。その外れの港の空き地の船のスクラップを工場に改造して
いまして。』
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. と言う訳で無事名刺交換も終わり、バー雅子にもう一人その筋のうるさ方が増えた
という訳でございます。彼がこの後この店の常連になるかどうかは別といたしまして
この男、外見は落語家のような雰囲気の男でして、絶えず何かを喋っていないと気が
済まないようで、人が聞いていなくてもいちいち声を出して自分の心情を話すクセが
あったのでございます。しかしこの男、見かけによらず自分を卑下するような所もあ
り、『私はバカなんですよね〜』と言うのが口癖で、もちろん自分をバカだと分かる
のは一種の知性でございますが、世の中には何が分からないかも分からない人の多い
中でかなり分かっていらしゃる方ですが、しかし本当はギリギリのところでは、分か
らなければいけない事も無いと言う事も、この男にはそれとなく分かっていて、それ
が独特の落語家のような洒脱な雰囲気を持たせているのでございました。
. そこで沈黙でございます。 ………。
. それがこの男のクサリ工場でございます。それは下町にあるのでございます。プロ
レタリアのキューポラのある町でございます。沈黙すればするほどクサリは生産され
巨大な巻取り車に巻取られてストックされるのでございます。
. しかしここで御注意もうし上げたいのは、これは安っぽく大衆の政治的な沈黙を批
評するのではなくて、文字通り沈黙がクサリを製作する工場でございまして他になん
の意味もないのでございます。
. 何時も何かを喋り続けている男が急に工場で黙り込むと、それがこの男の仕事にな
るのでございまして、その『………』が、クサリとなってガラガラ、ガラガラと巻取
られていくのでした。
. そんな訳でこの男の労働は実際には何もしない事でありまして、実際に作っている
のはお面だけなのでした。
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. 『これなんですがね。』
. そう言って男が私、浦島に見せたのはとんでもない写真だったのでございます。
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