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... 眉間の内側に小さな人間のような影が認められた。
. CTスキャンの連続写真をデスクトップで見ていた崇の主治医、既視辺 透
(きしべ とおる)は病状が回復しないまま一年以上病室に閉じ込められて
いる崇に実行した精密検査で、前頭部に肥大した神経系が認められ、それが
人のような形に集合しているのを不思議に思った。
. 崇は前々から時々、頭痛を訴えてはいたが、これほどの肉体的変化が起っ
ているとは思わず、せいぜい投薬的な軽い副作用だと考えてそれはど注意を
しなかったからだ。
. しかし、これは医学的には何を原因とするのだろう。
. たしかに脳から網膜へ行く神経のコードは脊髄と同じように28〜30本に分
かれて、月の回転周期に対応しているかのようで、人間の排卵に、狂気に、
夜の夢に関係があるのかのしれない。
. 脳からの体への主要神経は12で太陽への周期に対応し、鼻へ行く嗅神経は
12の叢で脳をシュミレーションしているかのようだ。
. そう言う意味では、そこには小さな人間が横たわっているという仮説もな
いではないのだ。
. 既視辺はこの事は将来の自分の研究テーマとする事にして崇を観察する事
にした。
.
. その頃、夢の国で女Aは、自らの“漂泊された国”からモノレールで二子
不二のふもとの“言霊の沼”に来ていて、その水辺に一人立ち、路個と父親
の聖地であるべき、ふつふつと言葉の生成する泡が立ち上がる蒼緑色の水面
に、その姿を映し、路個達の供えた塩や米を蹴散らして、チリチリと燃える
聖火と、チロチロと岩にあたる水音に目を凝らして、何やら言葉にならない
言葉を、百重の紙魚のように呟きながら、崇への通信を瞑想していたのだ。
.「やれ! やれ、やれ!」
. 女は必要以上に呪われたような呪文を吐き散らして、池の波紋を見つめ
た。
.
. 方や崇の方と言えば、精密検査の疲れから、早々と病室のベッドに潜り込
み、部屋の洗面台のゆるく、閉め忘れた蛇口からの水滴が段々とその水量を
増して、遂には細い蜘蛛の糸のようになり、瀬音のように擬音化するのを心
良く感じ入りながら、暗く深い睡眠に落ちて行こうとしていたのだ。
. しかしその時、それは、その水音は、一変して何か大勢の人々のえも言わ
れぬざわめきに聞こえ、だんだんと明白な日本語の文節を形作って行ったの
だった。
. 「こちらは、準備が整いました………。」
. 「こちらは、準備が整いました。そちも早急に………。」
. 「こちらは、準備が整いました。そちも早急に実行して下さい。」
. 崇はその声を以前この病室に来てくれた夢の7人組からの通信だと思い込
み、彼等も夢の深部で自分の考えを支持していてくれるのを嬉しく感じ、深
い眠りに入っていって又彼等と話してみたいと思った。
. 次の朝、主治医、既視辺はもう一人の患者、リストカット癖のある少女、
加藤 セツ(18才)の回診に彼女の部屋に入り、ある相談を受けた。
. 彼女の彼氏のプログラマー鈴分 明(すずわけ あきら19才)との面会の
件である。セツは崇とは違い、だいぶ安定性も取り戻し対人関係も、社会性
も回復の兆しが見えており、既視辺には、彼氏との面会もそれに滑車をかけ
る事が分かっていたので快く了解し、少し問診した。
. 「どう、せつちゃん、この頃はもう、親のプレッシャーなんか考えなくな
った?」
. 「ええ。でもね、やっぱりね、電話なんか来るとね。」
. 「ああ、それはね、だれでもね、親や夫婦間のプレッシャーはあるさ。
. 必要以上に敏感に受け取らないだけなんだ。すべてそうさ、リアルを過剰
に深刻に受け止める事が心の病理に結びつくんだ。」
. 「はい、分かっているんですけどね。」
. 「誰でも生きたいと思っていると同時に死にたいと何所かで思っているの
さ。 それは裏返しだからね。せっちゃんが考えているほど人生は完成もさ
れなければ有意義でもないさ。どんなりっぱな事をしても無反応って事も多
いんだよ。どんなに金持ちになっても相変わらず死にたくなってくるから
ね。要はなるべく笑っている事さ。
. じゃぁ、いいね、面会の事は予定にいれとくから。」
. 「はい、おねがいします。」
.
. それから暫く過ぎて面会の日、セツの彼氏、明はノートパソコンを抱えて
病室に現れた。
. 応接室に通された明はここで暫く待っているように言われてソファ−に座っ
ていた。
. ソファーの横には和風の屏風があり左側には墨跡で、
. “原毒は利己にありて、病原尽くそれより生ず。
. その毒に二種類ありて己より生ずるものと、他より生ずるものあり。
. 他より生ずるものこれ避け拒む事楽なれど、己より生ずるもの避けがたし。
. 薬にも二種ありて自ら造るものと他より与えられるものあり。
. 他よりのもの楽に受け、自らつくり出す事楽ならざるなり。
. これすなわち、徳の薬なり。
. しかるに、薬、これ弱毒なり。
. ゆえに生体のための細小をもって良しとするなり。”
. とあり又右側には、
. 源氏物語の柏木の書の印刷がコラージュしてあった。
. ふだんは古文など興味もなく、まじまじと見た事が無い明は待たされていて
暇なのと、丁度ソフトウェアのフォントを何にするかを考えていたのも手伝っ
て、少しの間この書を見つめていた。
. それは平穏に進む物語にシンクロして、クライマックスに入ってうねうねと
重なりあい、離れつつ、鼓動のようなリズムでときめいて息苦しく早打ちし、
それを補うかのように力強く太くなり、薄墨になって終焉へと消え入ろうとし
ていた。
. 「これは何と言う事だ。僕は今までこういった文字の力には無頓着だった。
. デジタルな文字が無くそうとして辛うじて絵文字などで補おうとしている魔
術の心がここにある。
. 僕らは随分昔に筆からペンへの移行によって筆線の強弱や濃淡を無くして今
又行間の揺らぎも無くそうとしているのだ。」
. このダンスする文字達は明にそんな事を語りかけてきた。
. この時代では芸術という観念はまだない。夢を美によって物質界へ引き寄せ
る魔術があるばかりだ。
. 文字や音楽や絵画はまだ独走せずに一体だ。
. 平安京の幻や夢が共存するリアル。
. まぼろし、妖怪の類いは当時は日常的にそこいらに居るもの、現代の我々が
無意識にマスメディアに誘導されるように何時も、となりにあるものとしてあ
ったのだ。
. ここでは少しでも普段と異なる現象は、もののけの仕業とされ、政治でさえ
もそのような思考で運転されて行き、御祓いと方位は占いによって決定され
る。
. しかしそのリアルも今の我々のTVセットの前のぼんやりした誘導にそっくり
で“ゆめつなぎ”に似た世界へと繋がっているのだった。
. そんな事をぼんやりと考えていた明はドアがノックされる音に我に帰った。
. 既視辺とセツが並んで部屋へ入って来た。
. 主治医立ち会いのもと面会は行われ、 明は自分の制作したソフト“PC
ブッダ”をセツに自慢げに立ち上げた。
. 「これ、会社の仕事じゃないんだよ。自分のために作ったのさ。高度な占
いソフトといったところだね。どう、試してみる?」
. そう言うと明はセツの方に画面を向けた。
. 既視辺もそれを注意してチェックしていた。
. 操作は簡単で幾つかの質問に答えて自らの心理的傾向を入力し、自分の質
問をタイプすればいいのだ。
. セツはメールを打つように“CPブッダ”への質問を入力し始めた。
.
. 『私の血への、死への偏愛は私の心の暗い部分の何処から来るんでしょう
か?』
.
『 ………。 おうおう、少女よ。生きている者と言う所で生きる者よ。死が
目的ならば天にそそり立つ塔より飛び下りよ。しかし、それをしないお前の血
への偏愛はサッドな信号で、世界の壁に自分の血でNonと書いておきたかったの
だ。
. 肉親からの期待はすべて彼等自身の叶わなかった夢の代償行為である。
. すべては無理に際限なく拡大した妄想的理想との歪みから生成された。』
. 『その妄想は何処からくるのですか?』
.. 『すべて現実的なデータ不足な世間知らずな夢と、自己拡大欲求の大木から
だ。
. 静まって、醒め、それに答えようとする片寄った愛情関係から目覚めよ。
. なんちゃって!』
.
. 「.................. 。」
.
. 「なんちゃって? なんちゃって、なんちゃって!」
.
. セツはいままでの自分の死を賭けた悩みをバカにされたように感じ、一
瞬、怒りが込み上げて来たが、その後直ぐにその感情が笑いに似たものに変
化した。
. セツはこの瞬間に自身を客観し一種の平安をかいま見た。
. 自分の病症の妄想な因子から抜け出たのだ。
. 心身が楽になり過去が夢の中へと消えて行こうとしていた。
. 自分を自分から許したのだ。
. 自分を自分から解放して、それだけではなくセツはその瞬間に自分を苦
しめるものをも許した。それに対立せず聞き流す事が出来るようになった
のだ。
. 既視辺はセツの目の光の変化を見逃さなかった。
. 「明君、これは凄いぞ、このソフトは。
. 一寸、私に貸してくれないか、この病院で臨床的に使ってみたいんだ。
. 「ええ、いですよ、僕もそのつもりでセツに頼んでここに来た訳ですか
ら。勿論、臨床データは僕も共有しますよ。」
. 「ああ、勿論だとも、それにこのソフトの制作費も病院サイドから出せる
と思うよ。後日、見積もり送っといてよ。」
. 「ええ、お願いします。助かります。歯牙ないバイトのプログラマーに投
げ銭を。」
. セツは風呂上がりのような顔で窓辺の空を見上げていた……。
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